原貫太の国際協力ブログ

フリーランス国際協力師原貫太のブログです。国際協力やNPO・NGO、アフリカ、社会問題などのテーマを中心に解説しています。

伝え続けること~"世界の不条理"と向き合って~

初めての記事「「伝える」こと ~"世界の不条理"と向き合って~」をハフィントンポスト日本版に寄稿してから、1年近くが経とうとしている。

 

伝える活動の一環として、今年2月から記事寄稿をスタート。これまで70本以上の記事を書いたが、その多くを構成しているのが、私がアジアやアフリカで目の当たりにしてきた"世界の不条理"に関する内容だ。

 

 

現場で目の当たりにしてきた"世界の不条理"たち

これまで私は、大学生という立場にも関わらず、アジアやアフリカの発展途上国へと足を運び、多くの問題や社会的脆弱層に位置する人々と触れ合ってきた。

 

バングラデシュでは、「レンタルチャイルド」と呼ばれる男の子と出会った。彼はポリオ(小児性まひ)を患っているにも関わらず、物乞いをさせられていた。このような子どもたちは、「利用」しやすいため、物乞い用に貸し借りされることもあるらしい。

 

ウガンダでは、元少女兵である女性と出会った。彼女はわずか12歳で誘拐され、26歳までの14年間、子ども兵士として戦場に立たされ続けた。紛争中、ウガンダでは数え切れないほど多くの子どもが誘拐され、兵士として使い捨てられた。

 

ルワンダでは、内戦を生き延びた男性と出会った。彼は、一夜にして45,000人が犠牲になった技術学校の跡地で、その悲劇を伝える活動をしていた。

 

私がハフィントンポストという大きな媒体を通じ「伝える」活動に従事しようと決めた理由は、端的に言えば「伝える責任」を感じたからだ。

 

今年1月にアフリカへ一人で渡航し、ウガンダ北部で元少女兵の方へインタビューしたり、ルワンダ虐殺の跡地を巡ったり、HIV/AIDs孤児院にて幼い時に親を亡くした青年へインタビューをしたりなど、様々な"世界の不条理"に直面した。

 

苦しみはそれを見た者に責任を負わせる

そして、改めて様々な"世界の不条理"を痛感した私は、「苦しみはそれを見た者に責任を負わせる」という言葉もあるように、自分が見た、聞いた、感じた「苦しみ」というのを、より多くの人に伝えなければならない、その責任が自分にはあると直感的に思った。ハフィントンポストという「ツール」を利用して、さらに「伝える」活動に取り組もうと思った最初の想いが、そこにある。

 

その時、改めて「伝える」という事が何を意味するのか、自分で考えた。そして、自分なりに出た一つの結論が、「私にとってここでの『伝える』という行為は、"世界の不条理"に抗い、それを正していくための必要最低限の行為だ」ということだった。

 

日本やアメリカ、特に私は恵まれた環境で育ってきたからこそ、そこ(自分の環境)と途上国との間にある「格差」を感じてしまう。

 

お洒落なカフェで友人たちとの会話を楽しみながら、自分の好きな分だけ食べる日本の大学生がいる一方で、その日食べるものを得るために、朝から晩まで駅で荷物運びの仕事に汗を流すバングラデシュの少年がいる。

水泳とピアノを習いながら塾にも通い、クリスマスには親からゲームを買ってもらう日本の小学生がいる一方で、銃を持たされ戦場で人殺しに従事するウガンダの少年兵がいる。

 

 

この気の遠くなるような「格差」もまた、私の言う"世界の不条理"だと感じる。その両者を、肉体的にも精神的にも行き来する私だからこそ、「伝える」という行為は、この「格差」によって隔たれた両者を繋ぐための必要最低限の行為だと感じるのだ。

 

この「伝える」という行為が不十分であるならば、もっと言えばこの「繋がり」が不十分であるならば、私はその両者にまたがって生きているからこそ、その「格差」にさらに絶望してしまう。だから私は、より積極的に「伝える」ことに携わろうと心に決めた。

 

伝えることに、悩み続けた

一方で、記事という形で「伝える」ことに、時として悩んだ。どんな言葉を使えば、どんな表現を使えば、どんな写真を使えば、読み手の心の奥底にまで、私が目の当たりにした"世界の不条理"を届けることが出来るのか。デジタルな媒体だからこそ、発信者の顔が見えない方法だからこそ、どのようにすれば受け手(読み手)に具体的なアクションにまで繋げてもらえるのか、沢山悩んだ。

 

もちろん、嬉しいことも沢山あった。記事を読んだ方から、私のFacebookやTwitterを通じて、多くのコメントを頂いた。「考えさせられた」「素晴らしい活動をしているね」「私に出来ることをやろうと思ったよ」。活動に対する「寄付」という形で、アクションを起こして下さる方もいた。

 

"「伝える」だけでは世界は変わらない"。"問題を「知る」だけでは、問題は解決しない"。

たしかに、その通りかもしれない。私たちが直面している問題は、複雑で、難解で、強大で、一筋縄で解決することなど、きっとない。

 

年が明けて2017年1月から、私は東アフリカのウガンダ共和国北部へと渡航する。認定NPO法人テラ・ルネッサンスのインターン生として、元子ども兵士の社会復帰支援プロジェクトに携わる予定だ。

 

現地に足を運ぶことを、正直に"怖い"と感じてしまうことがある。もちろん安全や健康面での心配もあるが、それ以上に、「子ども兵」という問題の大きさに現地で直面し、自分の小ささに気づいてしまうことが、怖い。そして、その問題や私たちの活動を、日本に暮らす人々にちゃんと伝えられるかどうかが、怖い。

 

遥か遠く離れたアフリカの大地で、独り無力感に苛まれるあの感覚が、怖い。

 

それでも私は、「伝える」ことや「知る」ことは、この世界を良くしていくためには欠かせない、大切な一歩であると信じたい。ひとり一人の力は微力ではあるかもしれないが、無力ではないはずだから。

 

地球の裏で起きている出来事を、決して「どこか別の世界の出来事」で終わらせてしまわないように。創意工夫を凝らしながら、2017年も現地から活動の様子を発信していきたい。


どうか私たちの活動に対するご理解ご支援を、今後とも宜しくお願い致します。

  

原貫太